編集室/東伯
7/12あえる編集部注目ワード「西瓜という名のスイカ」
こんにちは!
スイカ大好きあえる編集部です。
本日は、日曜日なのであえる編集部の注目ワードの
『スイカ』をご紹介していきますよ~!
日本人なら夏になると一度はスイカを食べて季節を
感じるかと思います。
↑日本人の固定概念。笑
そんなスイカのことを、私の実家では「神様」の
ごとく祭り上げられ、愛されているんです。
そのお姿がこちらです。ドンっ!
朝起きて、リビングに行ってみるとかわいいお花と
一緒にスイカ様が鎮座されておりました。
スイカを祭り上げている張本人は私の母様でしたが
理由を聞いてみると単純に
「冷蔵庫の空きがないのよ。」とのこと。
そりゃ、そのはずです。
このスイカ以外に、2玉ストックがあるのですから。
ちなみに実家は私を含め両親の3人しかいません。笑
一人1玉のストックを用意しておくほど私の母は
スイカ好きなのです。
旬なものが美味しいのわかるんですけど、連日の
デザートがスイカだと夜中のお腹が心配ですよね。
さて、私のお家事情は置いといて「スイカ」さんの
【歴史】気になりますよね?←唐突。
そこで、私なりリサーチをかけてスイカを
調べてまいりました。
あくまでも諸説ありですよ!
【スイカの歴史】
スイカの原産は、アフリカ地域で数百万年前には
砂漠地域で誕生していたと言われています。
また、現在のスイカに至るまで様々な品種改良が
行われてきたので昔のスイカは、味はもちろん
今のように美味しくもなければ色も無地や黒一色
だったりしたんですって!へぇ~
エジプトでは、4000年前の壁画にスイカが描かれて
いたり、お墓からスイカの種が出土したこともある
そうです。
ちなみに、当時は実が苦くとても不味かったようで
中身じゃなく「種」を食べたりしていたとか・・・
↑何で?
何でだろう?とさらに調べてみると
古代ローマに伝来してからは、医薬品として解熱作用
があるなどの作物としても扱われていたそうですよ。
また、砂漠地域でできた果物なので当時は、旅路の
水分補給ができる手軽な作物としても重宝されていた
ようです。
それにしても種まで食べるかは別ですけど。
そんななか、交易品としても重宝されるように
なってきて少しずつスイカさんの世界進出が始まって
いくわけです。
時は流れて日本に伝来してきたタイミングを調べて
みたんですが、意外に様々で諸説ありの
「謎」が浮上しました。
一説では、ポルトガル人が長崎にかぼちゃと一緒に持ち込んだとか。
中国に伝来してからすぐに日本に入ってきたとか。
基本的には、室町時代や平安時代という説が
あるようですが「西瓜」というくらいですから
中国からの伝来が有説なのかもしれないな~と
考えながら書いてます。
その後、江戸時代ですでに名産があるくらい
人気が高まり徳川中期以降では、一般販売される
品種も多くなっていたそうです。
明治・大正・昭和の時代で、海外品種との
掛け合わせを繰り返しながら歴史を追うごとに
美味しくなってきた夏の風物詩の「スイカ」様。
現在では、日本で育成されている品種だけでも
150種以上もあるんです。
また、果肉の種類も3種類あり
(紅肉・黄肉・白色種)。
90パーセントは親しみのある紅肉だそうです。
わたし、白色肉のスイカとか見たことない。みんな調べてみて
そんな、赤くておいしいスイカといえばやっぱり
山陰名産では鳥取県北栄町で栽培されている
「大栄スイカ」が有名ですよね!
私も、祖母が鳥取なので顔見るついでに道の駅で
お土産で買っちゃうほどです。
この「大栄スイカ」甘いものでは糖度が
13度~14度もある。
桃やメロンなみの糖度を誇ってるらしい!
また、水はけのよい土、昼夜の寒暖差が激しい
恵まれている環境で、より甘くて美味しいスイカを
作るために一苗一玉
(一つの苗に一玉しかならせない)
という栽培方法も多く農家さんで使用されていて
とっても大事に育てられているんです。
そのため、1玉に栄養が凝縮されてギュっと甘く
なるんだとか!
割と大玉で、大きさに比例して外皮の厚さが特徴。
その外皮がしっかり甘味を保ってくれんですって。
ちなみにおススメの直売所はこちら↓↓
JA鳥取中央大栄支所北栄営農センター
住 所:鳥取県東伯郡北栄町妻波1725−2
アクセス:山陰道 琴浦ICから車で10分程度
T E L:0858-48-1147
今回は、スイカの歴史と合わせて山陰名産の
ご紹介をしてみましたが、いかがでしたか?
皆さんも夏はこれからですので「スイカ」を
食べて暑い夏を乗り切っていきましょう!
それでは、また明日!
Writer:Yukio Fukuma